晴野まゆみのWiki風プロフィール!現在は何をしている?

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日本初のセクハラ裁判に挑んだ晴野まゆみさん。

セクハラ問題を世に知らしめるきっかけとなった女性ですが、どんなプロフィールの方なのでしょうか。

そして現在は何をしているのか気になりますよね。

このページでは晴野まゆみさんについて、以下の2つのテーマでまとめていきたいと思います。

  • Wiki風プロフィール
  • 現在は何をしているのか
目次

晴野まゆみのWiki風プロフィール

名前:晴野 まゆみ
生年月日:1957年8月
年齢:57歳(2024年8月現在)
出身地:東京都大田区
職業:フリーライター、株式会社チームふらっと代表取締役社長

1957年
東京都にて誕生

1963年に東京都小平市へ転居

1971年
福岡市へ引っ越す

福岡雙葉高等学校を卒業

1980年
西南学院大学文学部を卒業

卒業後はブライダルコーディネーターの会社に入社

1985年
福岡市の出版社に入社

念願のライターの仕事に就く

1988年
勤務先を退社(解雇)、フリーライターとして独立

セクハラを受けた上に不当に解雇される

1989年
原告A子として元勤務先と元上司を訴える(福岡セクハラ裁判)

日本初のセクハラ裁判として注目される

1992年
全面勝訴

元上司・元会社側に165万円の支払いを命じられる

1996年
実名を公表

実名でメディア取材を受ける

2001年
「さらば、原告A子」を出版

裁判手記を出版し話題になる

東京都にて誕生

1957年に東京都で誕生した晴野さん。

1971年、14歳の頃に福岡県福岡市に引っ越しています。

現在もフリーライターとして活躍されている晴野さんですが、

子ども時代から、詩や文章などを書く仕事に憧れていたそうです。

福岡雙葉高等学校を卒業後は、西南学院大学文学部外国語学科英語専攻に入学。

1980年には大学を卒業しています。

福岡市の出版社に入社

大学卒業後は、ブライダルコーディネーターの会社に入社。

1980年代は今のように女性が社会進出していない時代。

大学を卒業したからと言って、女性が働ける仕事は限られていました。

「ものを書く仕事」へのハードルも非常に高かったといいます。

しかしライターになることを諦めなかった晴野さん。

28歳の時に出版社に就職。

ライターになる夢を叶えたのでした。

大学生向けに福岡のグルメ情報などを発信する小さな出版社ではありましたが、

実際に取材した情報を文章にできる仕事に大きなやりがいを感じていたといいます。

女性だからと諦めずに、子どもの頃からの夢を叶えたのですね!

上司からセクハラを受ける

念願のライターになった晴野さん。

仕事量に対して安月給ではありましたが、やりがいのある仕事に喜びを感じていたといいます。

ところが、上司である編集長からのセクハラが始まってしまったのです…。

「夜遊びが好き」と言いふらされた

仕事を円滑にするために出入り業者と飲みに行くことが多かったという晴野さん。

そんな彼女を見た編集長は、

晴野は、夜遊びが好きだからな

と社内、社外関係なく言いふらし始めたのです。

しかし彼女はそんな嫌がらせに屈せずバリバリ働いたといいます。

一方で編集長は仕事にルーズな男。

彼より晴野さんのほうが取引先から信頼される存在になったそうです。

すると彼は逆恨みのように、彼女への性的嫌がらせを繰り返したのだとか。

男にだらしない女

〇〇と不倫している

など、デタラメの噂を流しまくったといいます。

自分より若いアルバイトの男子学生からも、

男性関係がお盛んなの?

などと聞かれることもあったそうです。

職場の男性みんなからセクハラ発言をされていたのですね。
考えられない状況ですが、「セクハラ」という言葉さえなかった時代。
この状況がまかり通ってしまったのですね。

卵巣腫瘍がセクハラのネタにされた

卵巣腫瘍の手術のため入院することになった晴野さん。

そんな彼女に対し、編集長はとんでもない発言をします。

彼女の目の前で、

晴野は男遊びが激しいから婦人病になった

と笑いながら言ったというのです。

性交渉と卵巣腫瘍の間に因果関係はありません。

ネットの声

病気になっただけでも辛いのに、さらにセクハラ発言で追い打ちをかけられるとは…
本当にとんでもなく嫌な男ですね!

この言葉を聞いた晴野さんは、怒りを通り越して悲しくなったといいます。

勤務先を退社(解雇)

編集長の噂によって、取引先からも「ふしだらな女」と見られるようになってしまった晴野さん。

さらに追い打ちをかける出来事が起きます。

編集長から突然、

取引先の人と不倫していることを知っている。
黙っておくかわりに会社を辞めてほしい。

彼女は実際、その取引先の既婚男性と1年ほど交際していた時期があったそうです。

しかしそれを理由に解雇されることに憤りを感じた彼女は、

編集長より立場が上の専務に相談したそうです。

しかし会社側が出した答えは、さらに驚くものでした。

職場に2人が一緒にいると雰囲気が悪くなると判断した会社側は、喧嘩両成敗として、以下の決定を下しました。

  • 編集長➡3日間の停職処分
  • 晴野さん➡解雇

両者を同じように罰するが「喧嘩両成敗」のはず。
これでは、晴野さん罰のほうが重すぎます!

この決定に呆然した平野さん、専務からこんなことを言われたそうです。

  • 君は仕事はできるが、男を立てることをわかっていない
  • 次の職場では男を立てるように

会社を辞めた彼女は、精神的も経済的も追い込まれていきます。

お世話になった取引先などから仕事をもらい、なんとかフリーライターして生活したそうです。

原告A子として元勤務先と元上司を訴える

2年半もの間セクハラを受け続け、最後は被害者ある自分が解雇されるという屈辱。

彼女はこの屈辱を晴らすために立ち上がりました。

泣き寝入りせず、会社と上司を訴えることを決意したのです。

1989年8月、

  • 性的嫌がらせ
  • 性差別による不当解雇

で、元勤務先と元上司の編集長を提訴。

  • 7人の女性弁護団
  • 支援の会

によるサポートのもと、晴野さんの裁判が始まりました。

支援の会の意向により実名を名乗らず「原告A子」として裁判に挑むことに。

プライバシーを守るためにも、匿名を承諾したといいます。

全面勝訴

日本初のセクハラ裁判は日本中で大きな話題となりました。

そしてついに1992年4月。

裁判所は、

  • 元上司の中傷は「働く女性の評価を低下させる不法行為」である
  • 会社も使用者の責任を負う

という内容を認め、晴野さん側の全面勝訴の判決を下しました。

元勤務先と元上司は、晴野さん側に165万円の支払いを命じられました。

裁判を起こした当時は勝てる自信がなかったけれど、

これから働く女性のために何としても勝ちたいと願っていたという晴野さん。

この勝利は非常に嬉しかったでしょうね。

実名を公表し裁判手記を出版

これまで匿名で裁判を戦ってきた彼女でしたが、もともと実名を名乗れないことに違和感があったそうです。

「なによりも裁判を優先したい」という支援の会の人たちとの間に溝もできていたようです。

1996年にはついに実名を公表し、本名でメディア取材を受けるようになります。

さらに2001年には、裁判手記「さらば、原告A子」を出版。

裁判の中でアイデンティティを見失い、そして取り戻すまでを綴りました。

現在は何をしている?

日本初のセクハラ裁判で勝訴を勝ち取った晴野まゆみさん。

現在は何をしているのでしょうか。

「株式会社チームふらっと」を経営

ライターに憧れて仕事をしてきた晴野さんは、

現在編集プロダクション「株式会社チームふらっと」という会社を経営しています。

2012年に設立された会社で、

  • 西日本の道の駅を紹介する情報誌「ふらっと」
  • 九州の道の駅や旅情報を紹介する情報サイト「ふらっと」

を手掛けています。

WEBも紙も両方の良さを活かしている会社なのだとか。

地方公共団体や企業の紙媒体の編集も請け負っているそうです。

地方に埋もれている観光資源を引き出し発信し、
それが地元の人の自信に繋がれば嬉しい

と仰っていました。

「自分で取材して様々な情報を発信したい」という晴野さんの想いは昔と変わっていないようですね。

メディアで取り上げられることも

セクハラという言葉自体がなかった時代に、セクハラと戦った晴野さん。

彼女の半生は、裁判から30年以上たった今でも度々メディアで取り上げられています。

  • 2022年1月:NHK「逆転人生」
  • 2024年8月:日本テレビ「ザ!世界仰天ニュース」

このような番組で紹介され、彼女を知らない世代の人々にも知られる存在となっています。

ネットの声

セクハラを考えるきっかけを作った強い女性。
彼女の人生は今後も語り継がれていくでしょうね。

まとめ

今回は、晴野まゆみさんのWiki風プロフィールや、

現在は何をしているのか調べてみました。

日本で初めてセクハラ裁判を起こした勇気ある女性であることがわかりました。

現在は情報を発信する会社で経営者としてご活躍されているとのこと。

これからも様々な情報を発信されるのでしょうね。

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