宮本佳代子と小泉純一郎の離婚理由やその後がヤバい?三男だけ引き取った理由は?

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元首相の小泉純一郎さんの元妻は宮本佳代子さん。

結婚生活はわずか4年。

長男4歳、次男1歳、そして三男を妊娠中に離婚しています。

どうしてそんな時に家を出たのでしょうか。

離婚理由やその後がヤバいって本当?
どうして三男だけ引き取ったの?

など気になることが多いですよね。

そこでこの記事では、

  • 宮本佳代子と小泉純一郎の離婚理由やその後がヤバい?
  • 三男だけ引き取った理由は?

この2つのテーマについてお話します。

目次

宮本佳代子と小泉純一郎の離婚理由やその後がヤバい?

1978年にお見合い結婚。

小泉さんは36歳、すでに政治家として活躍。

宮本さんは元エスエス製薬会長・泰道 照山の孫娘。

まだ21歳で青山学院大学4年生でした。

なんと小泉さんはお見合いをしたその日にプロポーズ。

政治の世界は知らないんです…

という宮本さんに対し、

政治を知らなくても大丈夫

とキッパリ言ったそうです。

すぐに縁談がまとまり、結婚式が行われた頃にはすでに長男を妊娠中。

美人で頭が良くスポーツ万能、料理も得意だったという宮本さん。

いい嫁が来てくれた

と小泉家は大喜びだったそうです。

次男が生まれ、三男も妊娠。

ところがその妊娠中にまさかの離婚。

わずか4年の結婚生活でした。

その理由は何だったのでしょうか。

離婚理由①小泉家の女性たちとの関係

小泉さんは離婚に至った経緯を明かしたことはありません。

宮本さんも後に暴露するようなこともしていません。

しかし関係者は、

小泉家の女性たちと折り合いが悪かったから

と離婚理由を分析しています。

彼女が嫁いだ小泉家は女系家族でした。

  • 義姉・道子
  • 義姉・信子

と一緒に生活することになったそうです。

しかも彼女たちは、

  • 家事
  • 小泉さんの政治活動

を取り仕切っていたため、宮本さんは居場所がない状況。

ネットの声

新婚時代から常に夫の周りには義母と義姉がいる状況だったのですね。
これは誰でもキツい…

特に信子さんは父親の時代から秘書を務める超やり手で、女帝と呼ばれていました。

小泉さんの秘書も務めており、身の周りの世話をするのも彼女。

生活費も夫である小泉さんではなく彼女からもらっていました。

ちなみにこのとき宮本さんはまだ21~22歳。

義姉は20歳も上だったため、言う事を聞くしかなかったようです。

宮本さんは物をハッキリ言うタイプの女性だったので、

何も言えない窮屈な状況は辛かったようです。

さらにエスエス製薬の会長の孫娘である彼女は、

金を集める苦労も知らない

などと嫌味を言われることもあったそうです。

選挙活動への参加はNGだった?

家でも職場でも夫を支えるのは義母や義姉。

そんな状況の中でも、宮本さんは必死に政治家の嫁として頑張ったそうです。

赤ちゃんだった長男をおんぶしながら選挙活動に参加。

後援会への挨拶まわりなども積極的に行いました。

しかしこの行動が小泉家的にはNGだったそう。

小泉家には「嫁は選挙活動に参加しない」というルールがありました。

嫁は出しゃばるなということなのですね。

宮本さんはそれがよくわかっておらず、良かれと思ってしたのでしょう

これにより、姑&小姑との仲はさらに悪化したようです。

ちなみに小泉さんは政治活動が超多忙な時期。

妻と姉たちのゴタゴタを仲裁する余力がなかったのでしょうね。

最終的に居場所がなくなった彼女は、小泉家から追い出されるような形で離婚に至ったようです。

離婚理由②創価学会

次に挙げる離婚理由は噂レベルの内容です。

宮本さんは創価学会の信者だったという噂があります。

ネットの声

政治の世界で創価学会と言えば公明党ですよね。

1999年に連立政権となるまで、自民党と公明党は仲が悪い状況でした。

自民党の小泉家としては、創価学会員の宮本さんを良く思っていなかった可能性はありますね。

色々と考え方の違いもあったのかもしれません。

しかしながら、もし宗教の違いが結婚生活の問題になるのであればそもそもお見合いすることはなかったでしょう。

あの小泉家ですからね、お嫁さん候補についてはしっかり調べ抜いていたはず。

ネットの声

この離婚理由の説はガセネタかもしれませんね。

離婚理由③祖父の反対

宮本さんの祖父はエスエス製薬の元会長・泰道照山さんです。

彼女にとって父親のような存在だったそうです。

しかし彼は宮本さんの結婚に猛反対。

政治家の嫁になることが不安だったようですね。

しかし最終的にそれを押し切る形で強引に結婚を決めた宮本さん。

祖父はそんな彼女に、

出ていくなら身一つで出ていけ

と言ったのだとか。

宮本さんは泰道家と絶縁ギリギリの状況になったそうです。

嫁ぎ先で上手くいかなかった彼女は「やはり祖父の言った通りだった…」と思い、離婚を決意したのかもしれませんね。

その後、長男次男とは生き別れ状態に

わずか4年ほどで結婚生活が強制終了された後、

宮本さんはどうなったのでしょうか。

彼女には3人の息子がいました。

長男:小泉孝太郎(当時4歳)
次男:小泉進次郎(当時1歳)
三男:宮本佳長(当時妊娠5ヶ月)

このような状況で、小泉家を出ることになった宮本さん。

長男、次男の親権は父・小泉純一郎さんに。

小泉家を出た宮本さんと息子2人は生き別れ状態。

離婚後に息子たちに会うことは、義姉・信子さんが許さなかったとも言われています。

ネットの声

4歳と1歳って可愛い盛りですよね!
そんな息子たちと合えなくなったなんて、どれほど辛かったことか…。

ちなみに母親に変わって長男次男を育てたのは、小泉さんの姉・道子さんでした。

次男・小泉進次郎さんは後に、

  • 親の離婚を知ったのは中学2年のとき
  • ずっと伯母を母親だと思っていた
  • 三男の存在も知らなかった

と仰っています。

三男だけ引き取った理由は?

4歳の長男と1歳の次男を置いて小泉家を出た宮本さん。

なぜ三男だけ引き取ったのでしょうか。

三男しか引き取れなかったから

父親である小泉純一郎さんは、息子3人の親権を主張しました。

調停の結果、長男次男の親権は小泉さん。

3男だけは宮本さんの親権が認められたのです。

ネットの声

宮本さんが意図的に三男だけ引き取ったわけではなく、
三男だけしか引き取れなかったということですね。

無事に三男を出産

小泉さんは三男の親権も求めましたが、三男だけは宮本さんが引き取ることになりました。

しかし、

・ひとりで無事に子供を産めるか
・ひとりで子供を育てていけるのか
・自立して生活できるか

と不安だらけだったと後に明かしています。

一生分くらいの涙を流した気がします

と仰っていました。

そして離婚の翌年1983年に無事に三男を出産。

宮本佳長(よしなが)

と名付けました。

佳代子さんの「佳」と「長」を組み合わせたお名前。

宮本さんの「長男」という思いが込められているのでしょうか。

女手一つで三男を育てた

シングルマザーとして三男を育てることになった宮本さん。

出産後6ヶ月ほどで不動産業界で働き始めました。

必死に勉強し宅建取引主任者の資格も取得。

今では三男も母親同様に不動産業界で働いているんだそうですよ。

彼女は息子に父・小泉さんの存在は教えていたそうです。

家族はバラバラに

離婚によって真っ二つになってしまった家族。

父:小泉純一郎
長男:小泉孝太郎
次男:小泉進次郎

母:宮本佳代子
三男:宮本佳長い

宮本さんは、長男次男に会わせてもらえない状態。

小泉さんも三男に会おうとはしなかったそうです。

また小泉進次郎さんは2024年9月12日の演説会で、

実母の存在を知らされた後も、
育ての親の伯母に裏切る感じがして実母に会えなかった

と仰っていました。

バラバラになった家族がまた1つになるのは難しいのですね。

兄弟3人が会えたのは25年以上経ってから

小泉さんが政権を引退した2008年頃から状況が変わったと言われています。

小泉さんは進次郎さんに、

3兄弟で仲良くすればいい

と言ったそうです。

その言葉を受けて、

進次郎さんは母・宮本佳代子さんと三男・佳長さんに会ったそうです。

それ以降は兄弟3人で会う機会が増え、

家族みんなが集まることもあったとか。

進次郎さんは、2024年9月12日の演説会で、

結婚して父親になったことで、ものの見方が変わりました。
母親に会えて良かったと思っている。

という気持ちを明かしていました。

壊れてしまった家族関係も、時間と共に少しずつ修復されていくのかもしれませんね。

まとめ

今回は、宮本佳代子さんと小泉純一郎さんの離婚理由やその後、

三男だけ引き取った理由について調べてみました。

女性が仕切る政治家一家の小泉家と、そこに21歳の若さで嫁いだ宮本さん。

離婚するまでには壮絶なドラマがあったことがうかがえました。

長男次男と引き裂かれ、三男だけ引き取った状況も辛かったでしょうね。

今後は穏やかな家族関係が築けることを祈っています。

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